古代の切り札古い年代記で「ジョーカー」とは、滅んだ文明が残した隠し札を意味する。大災厄を止めるに足る力だが、その代わりに土地、生命、同一性、あるいは未来そのものへ請求書を回す。廃墟から借りる力アウレリオンの古代「ジョーカー」は道化ではない。この語は絶望的戦略の言葉に属する。通常技術でさえ人類時代最強の道具を上回っていた文明が残した、隠された切り札である。発想は恐ろしい対称性から始まる。古代世界が眠れる領主を残せたのなら、それに対抗していた力も残しているのではないか。エルフの合唱団、ノームの都市鍛冶場、世襲の残響、いまなお一時代規模で作用できる機械断片。どの装置も「無条件の超兵器」としては機能しない。エルフのルミナリーは領主を抑圧できるほど強い調和の場を作れるが、その歌は守った土地の肥沃さを消費する。ノームの鍛冶都市は兵器として覚醒し、軍隊に匹敵する力で攻撃できるが、周囲の都市の資源、時には人口そのものを食う。血統の残響は生きた英雄に古代祖先の能力を体現させるが、借りた型が持ち主自身の同一性を傷つける。エルフの歌とドワーフの公式を結ぶ混成儀式は、神に近い力の一時的守護者を作りうる――同時に、新たな自律的大災厄を生む可能性もある。最も極端な儀式は集団犠牲によって働く。戦争を決め、領主を止める規模の効果を呼べるが、支払いは都市、民、景観、人間の自由の一部である。だから古文書はジョーカーを「過去の武器」ではなく「過去との取引」と表現する。使用するたびに力だけでなく、その力を生んだ体系の前提まで復活する。人類は目先の問題に勝つ代わりに、滅びた文明へ現在の一行を書かせる。これはアウレリオンに繰り返す道徳構造の縮図である。世界には不可能な脅威への答えがある。ないのは、副次的大災厄を伴わない答えだ。したがって実務上の問いは「これで救えるか」ではない。古い記録は、多くのジョーカーが救えることを明確に示す。本当の問いは、「救ったあとにどんな世界が残るか」だ。不毛の州、空になった都市、自分ではなくなった英雄、独自の意志を持つ新しい半神――戦闘当日にはどれも勝利と呼べるかもしれない。請求書が届くのは、緊急事態が歴史になった後である。