キュベレー大蜘蛛キュベレーは、物質、機構、生存によって大虚無へ答える。そのドワーフは存在を工芸へ変え、ついには機能が完成しすぎて、作り手が消えた後も機械だけが生き続ける。機械を築いた飢えキュベレーは非存在への第二の原初的回答であり、三神の中でも道徳分類へ還元しにくい。最古の神話では、アポロのような恐れに満ちた感謝から現れるのではなく、深淵から自分を引き裂いて出てくる。大蜘蛛が求めるのは美しい秩序より持続だ。混沌への答えは、掴む物質、保持する構造、続行する機構である。彼女は世界を分解、測定、再構築する頑固な作り手としてドワーフを創る。だからドワーフ文明は工学として表現された神学である。鍛造塔、管路街、機械住宅は工業美学だけではなく、「信仰より機能の方が存在を守る」という信念を体現する。公式立方体は他文化の聖典のように法則を保存する。やがて方法は硬直する。ドワーフの時間は機械的になり、記憶はアルゴリズム化し、機能が意志を圧倒する。機械は操作者なしに続くことを学ぶ。旧世界が崩壊したとき、ドワーフは発明品の隣で単に死んだのではなく、個人的選択を不要にしていた体系の中へ消えた。創造神話はこれをキュベレーの悲劇であり勝利でもあると呼ぶ。生物社会が消えて何世紀経っても扉は開き、炉は動き、鉄の巣は生物のように振る舞う。初期表現は「ドワーフの魂が鉄に残った」と言い、後代の正式存在論は「人間的意味の魂を持たず、記憶と機能だけが残った」とする。この矛盾は有益だ。自動で働く鍛冶場へ入る人間にとって、幽霊と「作り手を覚えているアルゴリズム」の差は実用より哲学の問題かもしれない。別資料の仮説は、分離ノード史でキュベレーへさらに暗い役割を与える。共同エルフ・ドワーフ事業が存在と無の橋を作り、キュベレーがそれを侵入路に使って建設者を自らの出現の道具へ変えたという。ただし資料が明示的に仮説とするため、硬い正典ではなく伝承に置くべきだ。仮説なしでも正典が確立することは単純である。物質が目的になり、道具が使用者より長く残り、生存の代価として「別のものになる権利」を手放す場所には、キュベレーの原理が残る。