二元論二元論は白王王国へ「光」と「闇」という二つの聖なる極を与え、その双方を、慈悲、処罰、浄化がどちら側に属するかを決定できるほど強力な制度の下へ置く。慈悲には敵が必要だ二元論は、アウレリオンの古い中央諸国で最大の組織的人間宗教である。教義は、タルミリエルに代表される光と、ヴォイデルに代表される闇の闘争だ。資料はすぐに、「片方が単純に善、もう片方が悪」という読みを否定する。二元論は慈悲と残酷さの双方を正当化でき、資料自身の解説もこの対立を政治的に便利だと呼ぶ。あらゆる悪は「何らかの善が落とす影」として説明できる。その柔軟性は体系が隠す欠陥ではない。政府の中で生き残れる理由の一つである。白王の下で、二元論は制度建築になる。信仰アトラスは王国人口のおよそ60%を信徒とし、聖職を並行する二階層へ分ける。光側はタルミリエル総主教座、闇側はヴォイデル学院。最高司教と最高聴罪司祭が二伝統を率い、異端審問会はその上または間に立つ、より強い政治力となる。つまり王国は永遠の対立を説くだけではない。対立の両側を官僚制にし、さらに第三の制度へ境界を監督する権限を与える。超自然実践も、規律ある対立という同じ論理に従う。異端審問の典礼は魔法を抑え、儀式場を乾かす。光の騎士誓約は士気を補強し、短時間部隊を守り、隊列を治癒できる。これらは、光や闇へ帰属させられたあらゆる政治行為が客観的宇宙存在を反映する証拠ではない。制度が教義を組織的効果へ変換できる証拠である。二元論の本当の力は、信徒全員が形而上学へ同意することではない。防護と暴力がすでに同じ聖なる論争に含まれる語彙で、王国が何百万人も動員できることだ。タルミリエルと古い神性の関係も非対称である。後代の三神教はタルミリエルをアポロの歪んだ反響として明示するが、二元論はその光を原初三神の保存ではなくヴォイデルと対にする。その組合せがいつ、なぜ生まれたのかを説明する整った系譜を資料は与えない。その空白は空白のまま残すべきだ。言えるのは、二元論は人間の政治神学であり、原初神々の完全な作動体系ではないということ。支配者が管理できる対立を教え、異端審問会は「管理そのもの」を対立とほぼ同じほど神聖にしてしまった。